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2017年7月25日号

ムッシュ追悼

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 少し前の話になるけれど、ムッシュことかまやつひろし氏が亡くなった。ムッシュといえばグループサウンズ(GS)の雄、スパイダースのオピニオン・リーダーとして、また大ヒット曲「我が良き友よ」で知られる大物ミュージシャンである。
 父親は著名なジャズ奏者で、ムッシュ自身の音楽家としてのキャリアのスタートは戦後の米軍キャンプに出入りするカントリー歌手としてであった。GSがブームになった1960年代には楽曲を提供したことをきっかけにスパイダースに参加する。
 この時代、ムッシュは多くの名曲を残し後になって再評価されているものの、当時売れたのは作曲家の大先生たちが書いた曲だった。自作自演の英国ロックを範とするムッシュは次第に歌謡曲化するグループの方向性に違和感を感じるようになる。
 GSブームが下火になるとスパイダース、テンプターズ、タイガースのいいとこ取りをしたスーパーグループが結成され、ムッシュは取り残される。スパイダースのフロントマンだった堺正章、井上順もソロ歌手として、タレントとして成功を収めていく。
 冷や飯を食わされたムッシュが再浮上してくるのは70年代。折からのフォークブームに乗ってその頃飛ぶ鳥を落とす勢いだった吉田拓郎と組んだ「シンシア」「我が良き友よ」が立て続けにヒットする。これが、ミュージック・シーンでムッシュの地位を不動のものにした。しかし、ムッシュは「我が良き友よ」のバンカラな曲のイメージは自分には合わないとずっと言っていたそうだ。
 渋谷生まれの渋谷育ちで青学出身、若いうちから麻布のイタリアン・レストランの老舗キャンティを通じて芸能界、ファッション界、カーレース界に幅広く華麗な人脈をもつムッシュは、たしかに「下駄を鳴らして奴が来る」というイメージとは真逆の存在ともいえる。
 カントリーから出発してロック、フォークと渡り歩きながらミュージック・シーンの第一線で生涯現役を貫いた。そこには、政党を渡り歩きながらいつまでも生き残る政治家とも共通するような芸能界戦略があったかも知れないけれど、GSのフロントマンとして、芸能界のスターとしてジュリーやショーケン、堺らが歩んだ道とは趣を異にする生き方がある。目を細めたあのムッシュの笑顔が、どんなジャンルであろうと音楽を奏でることが好きでたまらないと今でも語りかけてくるようだ。

  • 鳴門屋
  • 株式会社山善

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2017年7月25日号
6〜7面
CAD/_CAM特集
8〜10面
モノづくりの要所