「シンドラーズ・リスト」
1993年・米 スティーブン・スピルバーグ監督
コピーしてシュレッダー
オフィスで普段利用しているコピー機は、小生、三十郎と共に進化してきた。
コピー機無き中学生時代、数学と英語の先生の依頼で試験の答案問題をガリ版で作成したことを懐かしく思い出す。鉄筆で一文字ずつ丁寧に刻んでいくが、三十郎が信頼されたのは頭の出来より腕の出来であった(?)。特に英数字はテンプレートを利用した文字に近い出来ばえだったのだ。(この腕は以降ボーリング大会のスコアー記入やらで重宝され、現在は馴染店の献立書きにも威力を発揮!)
社会人になった頃にあったコピー機がジアゾコピー機。三十郎は当事長崎造船所に勤務しており、嵐に向かう駆逐艦のなかでジアゾコピー機を背中に負って縄梯子を上り、運転速報を複写したことがある。複写機の歴史は1842年の青写真から始まるとされるが、普及したのは1920年独国のジアゾ機であり、同機は国内でも1965年頃から普及していた。
現在の普通紙複写機は1955年米国ゼロックス社が開発、1962年富士ゼロックスが国内販売開始とあるが当時は高嶺の花だった。国産機(コニカ・キヤノン)が1970年以降登場しだした。カラー複写機は1973年。1988年キヤノンのデジタル式から普及していくが1枚当たりの価格は現在も高く、民間企業内での活用は限定されている。(有望顧客へのプレゼン資料など)。
複写が入口機なら出口機はこれであろう。それはシュレッダーと呼称される文書裁断機。米国では軍事秘密保持用に大戦中から利用していた。国産機の開発先駆社は明光商会であり1960年に販売開始とある。三十郎は1978年、明光商会営業マンと折衝し全部門に小型機を導入した。
独軍捕虜収容所内でユダヤの方々が生き残る方法はただ一つ。独人実業家オスカー・シンドラーの軍用ホーロー容器製造の労働者リストに自分の名前が書き込まれることであった。『シンドラーズ・リスト』(1993年スティーブン・スピルバーグ監督)は必見。
このリスト、コピーでいいから手にしてみたい。

