「長州ファイブ」
五十嵐匠監督
若い力が作り出した近代日本
近代日本の産業発展は次の方々の献身的努力に負うところ大であり、是非紹介させていただく。特許庁選出の「十大発明家」の業績も瞠目ものだが、より優先すべき方々が次の方々ではないか。
彼らはいま「長州ファイブ」と呼ばれる。江戸末期、長州藩が外国の情報を得ようと幕府の禁制を犯して渡欧した人たちだ。最先端の工業技術を学び持ち帰った山尾・井上・遠藤、明治政府の重鎮として政界を歩んだ伊藤・井上の五人の方々であり、帰国後の功績は次のとおり。
山尾庸三:造船を学び、後に東京大学工学部を創立(渡航当時26歳)▼井上勝(野村弥吉):新橋―横浜間に日本初の鉄道を敷設(当時20歳)▼
遠藤勤助:日本人の手による貨幣づくりに成功、後に大阪造幣局長(当時27歳)▼伊藤博文:初代内閣総理大臣で大日本帝国憲法を発令(当時22歳)▼井上聞多(馨):初代外務大臣であり欧州化政策にも尽力(当時28歳)
1863年(文久3年)、渡航滞在費として藩から一人2百両が支給されるが、駐日英国大使館に周旋依頼すると一人1千両要することが判明。長州藩江戸藩邸に鉄砲購入資金として確保されていた1万両の中から留守居役の村田蔵六(後の大村益次郎)が補填した。
彼らは先ず上海に上陸する。彼の地の繁栄ぶりと100艘以上の外国船・蒸気船を目前にし、「攘夷・鎖国」から「開国」へと考えを変える。
ロンドンに向かう船中では水夫同様の扱いで「困難な状況は筆舌し難い」と伊藤博文は後に語っている。
1865年(慶応元年)、薩摩藩も19名を送り込み、ロンドンで長州人と出会う。薩摩人は自分達以外に国禁を犯している者がいるとは思いもしなかった。薩摩・長州は「禁門の変」以来仇敵の間柄であり、当初は警戒心をもって付き合う。が、やがて彼らは徳川幕府倒幕による近代国策が必至と考え、後に桂小五郎と西郷隆盛が両藩を代表し密かに結んだ薩長同盟につながる。
かくして、近代日本の運命は、遥かロンドンの地で出会った薩長の若者たちによりつくられた。
ロンドン大学には「長州ファイブ」として顕彰碑が建てられており、これを知った山口市はようやく2003年に碑を建てている。
この史実を再現した映画がある。『長州ファイブ』(2006年、五十嵐匠監督)。ケーブルテレビ局(JCOMなど)では本作品を高く評価し、このほど放送を開始している。
どうぞご覧あれ。