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オヤジの社会学  2012年03月10日号掲載

散髪

oyaji こどものころ床屋に行くのが嫌だった。長時間じっと座っていなければならないのが苦痛だった。モジモジしては床屋に叱られた。帰りに床屋の真ん前のパン屋に寄って菓子パンを買うのが楽しみだった。日曜の朝一、父親と一緒に床屋に行き、パンを買って帰り、朝食は菓子パンをパクつく。床屋の思い出は父親とパン屋とセットである。
 おとなになってからは床屋に行くのは嫌ではないが、髪を切りに行くというより寝にいくというほうが近い。ウトウトしながら熱いタオルで顔を蒸されるのは気持ちのいいものだ。マッサージまでしてくれて、そのあとしばらく放っておいてくれる店もある。始めから終わりまでたっぷり1時間超。実にゴージャスな時が流れる。
 ところが、最近は床屋の半額くらいで非常に素早くカットしてくれる某チェーン店で髪を切ることが多い。洗髪・乾燥がない代わりのブーブーと頭に掃除機をかけられる屈辱に耐えている。人間というものは初めは抵抗があっても、そのうちに何にでも慣れてしまうものなのだろうか。
 男子たるもの多少の小銭をケチらず、昔ながらの馴染みの床屋に行き、堂々と散髪を施すべきではないか、最近のていたらくは何としたことだろう、とも思う。それに、街の床屋に行けばお金は地元に落ちる。
 チェーン店の資本はおそらく地元ではなかろう。支払ったお金は地元から外に出ていってしまう性質のものである。その観点からいっても街の床屋に行くべきなのだ。
 一方では、それでもやはりこのご時世、財布に千円札1枚でも余計に残るのはありがたい。役所が仕事を発注するのに、なんでわざわざよその会社に頼んで地元企業を使わないのだろうと不思議に思うことがあるが、同じようにコストを追求すると結果、そうなるのであろう。
 それはそれで仕様のないこと。安く散髪できるに越したことはないはずだが、頭を掃除機に吸われながら、昔と今とではどちらが豊かなのだろうと考えると、もののあわれというものを感ぜざるを得ないのであった。


中原亭(なかはら・てい)…金融、工業系と紙誌の編集を経て田舎暮らしにチャレンジ。現在、地方紙コラム執筆・地域雑誌編集のかたわら、田んぼを耕作。5人の子持ちオヤジ。





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