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オヤジの社会学  2012年12月10日号掲載

女のみち

 喪中はがきが届く季節になった。マスコミもこの一年で亡くなった著名人の足跡を追う。
 先月19日に宮史郎さんが69歳で亡くなった。宮さんが独特のだみ声で唄った浪速のド演歌「ぴんからトリオ」の「女のみち」は1972年の大ヒット曲だ。当時のシングルレコードの売り上げ記録をことごとく塗り替え、いまだに累計売り上げ枚数300万枚超は歴代2位というから、凄いことである。
 聴く側の好みが多様化し、売るほうも世代や性別、好みを層別化して、ターゲットを絞った楽曲を提供するようになったので、近年は国民的大ヒット歌謡というものが生まれなくなってしまった。しかし、「女のみち」はまさにそれだったのである。

 では、当時の人々の好みは多様ではなかったかといえば、そうではなくて、時代は多様化の端緒にあった。ビートルズが来日したのが66年で、それをきっかけに国内でもグループサウンズに火がつき出した。マイク眞木、小室等、森山良子、フォーククルセダーズ、らが次々に現れ、世はフォークブームの様相を呈していた。テレビの歌番組で紹介される歌謡曲もヒット曲を量産し始めていた。
 「女のみち」が大ヒットした72年にはガロの「学生街の喫茶店」や吉田拓郎の「結婚しようよ」が流行っていた。皆、次にどんな新しいものが生まれてくるのか、目を凝らし、耳を傾けていた。

 「ぴんからトリオ」は歌謡漫談のグループだった。デビュー10周年を記念して、グループの並木ひろしさんが曲を作り、宮さんが詞を書いた。自主制作した初回プレスは300枚。これを各所に配布したところ、有線放送から徐々に火がつき始め、72年から73年にかけて12週連続10万枚以上を売った。
 別段、真新しさはなく、むしろ従来の演歌の王道を踏襲し、コテコテのド演歌に仕上げたところが受けたのだろう。当時、一体誰が、お笑いバンドが自主制作したド演歌がこれほど売れると予想しただろう。世の中何が売れるかわからない。宮さんの訃報に接し、そんなことを思い起こすのである。


中原亭(なかはら・てい)…金融、工業系と紙誌の編集を経て田舎暮らしにチャレンジ。現在、地方紙コラム執筆・地域雑誌編集のかたわら、田んぼを耕作。5人の子持ちオヤジ。





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