オヤジの喜怒哀愁

2014年7月25日号

ドギー・バッグとスキッピング

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 小学生の娘が体調を崩して学校を休んだ次の日、給食の献立表をみるとアーモンドが出るとある。病み上がりのからだには油脂分が少々強いと判断した家人が、連絡ノートにアーモンドは持って帰らせてください、と書いた。
 しかし、学校からの返事は持ち帰りはダメというものだった。傷みが早い夏場のことだ。学校側が慎重になる気持ちは分からないでもないが、袋詰めされている乾きものの持ち帰りまで禁じるというのはアツモノに懲りてナマスを吹く類いではなかろうか。まあ、そういう規則なのだろうが。
 ホテルでビュッフェ・スタイルの同窓会が開かれた時のこと。宴会場のテーブルにはご馳走が並んでいる。とはいえ、何年かぶりの再会だ。どうしたって食べるほうが疎かになる。お開きの時間になってテーブルをみれば、ご馳走がまだたくさん残っていた。 「もったいないわね。ドギー・バッグにしてもらったら」と恩師の英語の先生がいった。ドギー・バッグって何ですか、と聞くとドギーはドッグつまり直訳すれば犬の餌に持って帰るという意味らしい。
 そういう方便なのだろう。お客は犬に持って帰るといい、ホテルはわかりました犬の餌用ですねといって食べ残しをパックしてくれる。あとは、それを家に帰って飼い主が食べて腹痛を起こそうがホテルの知ったことではない。お客だって文句などいわないのである。だが、そのホテルは持ち帰りパック詰めを拒んだ。外資系のくせにドギー・バッグが通じないとはどういう料簡なのだ。
 消費・賞味期限切れが食品のパッケージに表示されるようになってからは、皿に盛られる前に廃棄されてしまう食品もたくさんある。海外では、飲食店やスーパーのごみ箱から食材を収集することを「スキッピング」という。
 なんだ乞食のことではないかなどといってはいけない。貨幣経済に否定的な考えをもつエコな若者たちがスキッピングで100人もの人にフルコース・ディナーをふるまう無料パーティまで開いている。捨てる神あれば、拾う神あり。それにしても、食べ物を粗末にし過ぎていないか。