オヤジの社会学

2017年9月10日号

夏の終わりのセレナーデ

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 子どものころから夏が好きだった。今はどうか。もちろん今でも夏は好きだ。好きだが、歳のせいか少々体がきつくなってきた。暑い盛りになれば、夏は十分堪能したのでもういいから一刻も早く秋になってくれぬかと念ずるようになった。夏の最中から一日千秋の思いで秋を待っている。
 蝉の声より鈴虫の音が優勢になってくると、よしよしとうれしく思う。「虫」といえば、秋の季語。昔は春に花見をするように、秋には虫の音を聞きながら酒宴を楽しんだというから粋なものだ。
 古人に倣って夜、庭の軒下に出てみた。曇っているのか、月は出ていない。昼間の暑さが嘘のようにそこはもうすっかり秋である。山陰を望む暗闇の中から無数の虫の音が聞こえる。
 残念ながら虫声の耳利きではないので、その音が何の虫の音なのかはわからないのだが、音とリズムから少なくとも5、6種類の異なる楽器が奏でられている。単調なリズムの繰り返しのようだが、主音声を奏でる勢力が入れ替わったり、単発的に声を上げるやつなどもいて、このオーケストラなかなか聞かせてくれる。
 しばらく聞いていると屋根にパラパラと雨が落ちてきた。はじめパラパラと落ちてきて、そのうちにサーッと降ってきた。虫たちは相変わらず鳴いている。が、明らかに雨が変調をもたらした。第二楽章である。
 サーッがザーッに変わると虫の音は急に下火になった。雨音が虫の音をかき消しているのではなく、一部の勢力は鳴くのをやめたようだ。しかし、相変わらず元気に声を張り上げている勢力もあって、曲は続くのである。夜の雨音が心地いい。妙なものだ、と感心して今しばし聞いてみようとタバコに一本火を点けた。
 雨脚は強まったかと思うとまた弱まる。すると、下火になっていた虫の音が息を吹き返してくる。雨が降り出す前よりも負けじと力強く音を上げる勢力もある。だが、雨脚が強まればまた下火になる。そんな潮の満ち引きのような雨音と虫の音の綱引きが何度か繰り返された。繰り返すうちにあたりの何かが深まっていくように感じた。
 虫は鳴き止まず、雨も降り止まない。今宵の秋のセレナーデは尽きるところを知らないようだ。少し風が吹いて肌寒くなってきた。そろそろ中に戻ろうか。