コラム

2017年11月10日号

 私といったりオレといったり、日本語の「I」は変化しますね―。行きつけの飲み屋のカウンターで、都内の保育園で園児に英語を教える米国青年が苦笑しながら話しかけてきた。目下日本語勉強中だ▼いや日本語のIはもっとある。僕、わたくし、わし、われ、おい、おいら、うち、あたい…それから拙者とか小生とか…。どうだといわんばかり、得意げに返す▼「我輩は猫である」のワガハイもIなんでしょう、と米国青年。そう、それもあった。「いま使う人はいないけど、確かに我輩もI。多様なIには微妙なニュアンスの違いもあるんだよ」。当方、したり顔になっている▼するとこの米国青年、面白いことを言った。あなたもそうですね。キミ、オマエ、キデン…。でも日本人は使い分けすぎでは。英語だとどんな時もIはI。相手が大統領だろうが目下の人だろうがYOUはYOU。人間関係や場所によって自分も相手も呼び方が変わるのはどうなのかなあ…▼少し考えさせられた。以前「KY(空気が読めない)」という言葉が流行ったが、場の空気を読んであわせることを優先する日本の社会に、多様なIが存在するのは理屈のようでもある▼今度のトランプ大統領訪日では、トランプ批判の急先鋒とみられたコメンテーターが、歓迎ムードにあわせ晩餐会やランチのメニューを「柔和なI」で紹介していた。「大統領は○○が大好物なんですよ」などと▼別に目くじら立てることもないが、迎合しすぎ、調子よすぎ、白けてしまう▼「IはI。YOUはYOU」その変わりようのなさに、一瞬、潔さを見る思いがした。