オヤジの社会学

2018年1月1日号

高みからの眺望

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 「地球は丸いのに、どうして丸く見えないの?」
 「それはね、地球がとても大きいからなんだよ。宇宙から見れば地球は丸く見えるよ。おとうさんも宇宙から地球を見たことはないけどね。宇宙まで行かなくても、高いところに登って眺めれば、そう、たとえば富士山の頂上から水平線をよく見ると、一直線ではなくて少しだけ丸くなっているのがわかるよ。おとうさんは小学生の時に富士山に登って丸い水平線を見たのを覚えているよ」
 「だったら富士山に行ってみた~い」
 娘がまだ小学生だった頃に交わした会話だ。いずれ子どもを連れて富士登山に出かけてみたいもんだとその時は思ったのだったが、いまだに実現していない。娘はもう高校生でいまさら富士登山に誘っても断られるだろう。我ながらつくづく情けないオヤジだ。
 学校でいくら地球は丸いと教わっても、宇宙から撮った丸い地球の写真を見ても、自分の目で見なければ信じられない、実感が湧かないというのはわかる。「知っている」ということと「わかる」ということは違う。
 高いところに登ればそれだけ見通しが利く。遠くまで見渡すことができる。そして、少し想像力を働かせればその高みから自分の姿を俯瞰することもできる。
 「宇宙船地球号」という言葉をご存知だろう。地球環境問題という手に余るような大きな概念をわかりやすくイメージさせることに成功した言葉だ。民族の違いや国境に関係なく、地球に住むすべての人間、すべての生物は運命共同体なのだということを端的に示すコピーとして今もその輝きを失っていないように思う。
 バックミンスター・フラーという米国の思想家が「宇宙船地球号」という本を出版し、その概念を提唱したのは1963年のことであった。一方、ソ連人ガガーリンが世界で初めて有人宇宙飛行を成功させ、宇宙からの眺望を「地球は青かった」という有名な言葉で表したのが61年。つまり、人類が宇宙に飛び出していったことと、宇宙船地球号という環境問題の概念が登場したこととは表裏一体のことのように思われるのだ。高みから見れば見るほど全体像を捉えることができ、全体の問題を意識せざるを得ないからだ。
 いま娘と富士山に登れば、丸い水平線を見ることができるだろう。地球は依然として丸い。だが、最近飛んだ宇宙飛行士が宇宙から見た地球は、果たしてガガーリンが見たほどに青いのだろうか。