コラム

2018年3月10日号

 仕事帰りに久々、本をまとめ買い。ビジネス書から雑誌、小説本と抱えレジへ向かう。ついでにその大型書店のベストセラーという漫画も購入した▼漫画は「君たちはどう生きるか」(マガジンハウス)。剣道で正面からメンを打突するような真っ直ぐのタイトル。聡明で心優しい中学生が主人公で、ある日、自分が社会の一員(一分子)であることを自覚し、周囲のために主体的に生きようとする▼だがいざという時、自身の弱さから意思を通せず友達を裏切ってしまい、後悔の念に強く苛まれるというストーリーだ。主人公を見守る大人に支えられ、過ちを糧に成長する姿が最後にある▼一気に読みテレビをつけると、例の裁量労働制に関係する不適切データの問題を扱っていた。事実を捻じ曲げ、都合よく解釈し…。同制度が働き方改革関連法案から外れたのはやむを得まい▼けれど、データ捏造の失態だけが焦点になった。それこそ働き側の「どう生きるか」といった問題は、議論で扱われたのだろうか▼旋盤工を続けた作家の小関智弘氏が以前次のような話を筆者にした。「昔の職人は壁にぶつかった時、少し遊ばせてよと言ったもんです。工夫して出来るまで徹夜してでもやるから好きにさせてくれと。言われた方もよく知ったもので、四の五の言わず、分かった好きにやれと応じたものです」▼制度は関係ない。「徹底してやりたい」と部下が言えば、目を見て任せると言いたい。労務管理/制度も大事だが、個人の強い意思は「どう生きるか」とも絡んでくる。そこを尊重することがより重要でないか。