オヤジの社会学

2018年3月10日号

蛇口が語る

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 疲れやストレスがたまると痛む歯がある。これまでかかった歯科は最近混んでいて大分先の予約になりますというので違うところに行ってみた。その歯科の建物は木を基調とするスウェーデン住宅で待合には「Yチェア」が数脚置かれていた。
 Yチェアは木工家具やデザインが好きな人の間では日本でも割合知られた椅子で、デンマークの世界的な椅子のデザイナー、ハンス・ウェグナー氏の手による物だ。背もたれがYの字に見えるからYチェアである。
  ウェグナー氏はデザイナーであると同時に木工家具職人であり、着想から図面化、試作、製作まですべての工程を自らこなした。十年ほど前に92歳で亡くなっているが生前、自分の椅子は芸術作品ではなく日用工芸品なので是非、使い続けてほしい、物語は一挙に語られるというよりも使っているうちに少しずつ伝わるだろうという言葉を遺している。スウェーデン住宅にYチェアとくれば北欧である。歯科先生は北欧が好きなのだろう。
 北欧といえばデザインである。北欧はまるですべてがデザインされているようだ。ノーウェジアン・ウッドといえばノルウェーの森ではなくてノルウェーの木工家具のことである。北欧の空港はどこもモダンで、公共スペースのデザインは素晴らしい。木を大胆にとり入れたオスロ空港の大屋根は美しいS字カーブを描いている。
  その昔スウェーデンの安宿に泊まったことがあった。宿の洗面台には手に少しでも石鹸がついているとすべってどうしても開かない蛇口があった。日本では考えられないことだが、水道の蛇口ひとつとっても行く先々で様々なデザインの蛇口にお目にかかる。
 すべって開かないのではいくらデザインが美しくても機能性が劣ると思うかもしれないが、こんな安宿の洗面台の蛇口ひとつにも「石鹸のついた手で蛇口をひねるのは行儀がよくないね」とでも語っているような風格と哲学が潜んでいる。それこそ北欧の機能美なのではないかとふかーく考えさせられるような力をデザイン自体が持っている。素晴らしい。
  北欧といえば高福祉国家の代名詞で、税金が高いけれど社会資本は充実している。人々の間に不安感や焦燥感は乏しく、人間として本当にゆったりと生活しているように見えた。
  待合でYチェアに座りそんなことを考えていると、治療をする前に歯の痛みがスーッと引いたように感じたのは多分、気のせい。