コラム

2018年5月15日号

 セクハラで最高級の官僚が、人気芸能人が相次いで表舞台から去った。彼らを擁護する気はないが、その人の長年の功績も何もかもすっ飛ばし「セクハラ男」の烙印を押してしまう社会の寛容のなさが気になる▼罪を憎んで人を憎まずとは孔子の言葉に由来する有名なことわざだが、今の状況は、セクハラが直接罪にあたるかどうかを別にして、セクハラ行為よりも人を憎み、加害者とはいえその人格をバッサリ切り捨て、ここぞとばかり嵩にかかって攻め立てているふうでもある▼あおるのはワイドショー? 謝罪会見を見たタレントや弁護士がこう言うべきだっただのどうのと一説ぶったり、終いには謝罪の採点までしているのだからあきれる。おかしな方向で話題の鮮度を先延ばしにしているようでもある▼しかしTVの影響だけでもなさそうだ。どこか窮屈になってしまった社会が国際スタンダードとも絡み合い「絶対許さん」の大合唱を続けていると感じる。いや、ここまで書くとキツイお叱りを受けそうであるが…▼人をハリネズミに喩えることがある。近寄りすぎると互いに傷つけあうというわけだが、元来、人は周囲を傷つけてしまう針や毒を自身の中に抱え込んでいるとの意味合いも含む▼果たして、自分のなかの黒々とした部分を意識した上で、社会に対し真摯に向かい合っている人は多いはずだ。またそういう意識があれば他人の「罪」に対し一方的な非難だけでなく、赦しの気持ちも出てくるのではないか▼セクハラ騒動の一連の動きには、加害者意識の乏しい人が寄ってたかっているようで後味が悪い。