オヤジの社会学

2018年5月15日号

Oさんと松ノ木

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 生まれ育った家の近くの坂の途中に古い洋館があった。広い庭の真ん中には大きな松の木が立っていた。空き家だったが、そのうちに人が住むようになった。Oさんという。
 住むといっても留守居で、母屋の洋館はそのままにして離れの一部を使っていた。Oさんは庭でよく野球を教えてくれた。スタンスは平行に取れ、脇をしめろ。7つか8つだった小生はプロの専属コーチに教えてもらっているようで嬉しく毎日のように通った。2人なので三角ベースだ。網のフェンスを背にしてバッターが立ち、松の木をサードベースに見立てた。
 Oさんはこれといってすることもないようで行けばたいていは暇そうにしていた。野球に飽きると相撲やサッカーをやった。雪が降るとみかん箱にスキー板をとり付けてソリを作ってくれ、庭をぐるぐるぐるぐる何周も引っ張ってくれた。夏は肝試し。母屋の洋館には地下室があり、埃だらけのビリヤード台が置いてあった。ワインセラーもあった。ドラキュラかフランケンシュタインでも出てきそうでなんだかとても怖かった。
 留守居は何人かいて途中交代もしたが、最初から最後までずっといたのがOさんで、ほかにMさん、Tさんとも遊んだ。男所帯で部屋はお世辞にもきれいとは言い難かった。時には七輪で炭を熾して焼肉パーティをやってくれたこともあった。
 ところが、こちらも大分物心がついてきて大人と遊ぶのに飽きたのだったか、それとも向こうが迷惑になったのか。だんだん疎遠になりついにはほとんど遊びに行かなくなってしまった。そんなある日、Oさんは突然訪ねて来た。今から引っ越すからグローブを返すと言う。
 久しぶりに話すOさんはよそよそしかった。グローブを受け取ったものの、居ても立ってもいられなくなり見送りに行った。坂を下るタクシーの後ろ座席でこちらを振り返るOさんの目は少し悲しそうではあったが、以前と同じ親しみのある目をしていた。「故あってしばらく封印していた」。そんな感じだった。泣きたくなった。
 それから少しして古い洋館は建て替えられて新しく立派な屋敷が建った。大きな松の木にちなんでソナム荘と呼ばれた。ハングルで松のことをそう言うらしい。しかし、いまはその松の木も切り倒されマンションが建っている。
 Oさんはいまどこでなにをしているだろう。できることなら焼肉でも食べながら、ビールか眞露でも飲みながら昔話をしてみたい。