コラム

2018年7月10日号

 非連続の変革に対応すべき―。今年のものづくり白書が強調したこの言葉を前号で紹介したが、実際問題として非連続の時代にどう向き合えばいいのだろう。いや非連続と同調し、一種の連続性がそこに伴ってあることを見落とせないのではないか▼学生の頃か。人生は連続的か、非連続かと議論したことがあった。青年期になって考えが変わる。ある出来事があって人生が転換する。よくあることだが、仮に意識せずともアイデンティティを抱えていれば、そうやすやす、人となりは非連続で変わらないはず。一流企業に入った、彼女ができた、そんなんで急に変わるやつは信じないね、などと…。▼さて、現実の「非連続の変革」は、見たことの無い南国の果実をジュースとして愛飲するような、あるいは黒電話を知らない国にスマホが急普及するような「はじめに高度人工物ありき」の中で頻発するものと言えそうだ▼たぶん、その究極形にいま差し掛かっているのだろう。「はじめに人工物ありき」の世界は土台がゆるく、不確かだが、それゆえ「文脈」を無視し次なる変革へとすっ飛びそうだ▼けれど、市場の理屈を言えば、顧客支持を長く獲得するには、ある種の「連続性・継続発展性」が欠かせない。先端3Dソフトを提供する世界大手が大前提として努力するのは何より旧式データとの互換性だ。そこを無視すると顧客が定着しない▼非連続のなかの連続性をしっかりみるべきと、自戒を込めて思う。一方で本当に「非連続の変革」が日常となる時代に入れば、人類はそこにどんな価値や幸福を見出すのか。