コラム

2018年8月10日号

 想像力には2つの形があるという。一つは日常に向かう想像力。他人にどう思われているか。気持ちは相手に通じたのか。奴は裏切らないか…などと想う力だ。他方、日常を離れ、宇宙の果てを想像したり、人類の遠い未来を想ったりするもう一種の自由な想像力も人には備わっている▼紀元前の古代ギリシア時代「原子(最小粒子)は自由意志で動く」と考察した哲学者らがいたが、これは後者の想像力が導いた仮説かもしれない。今の物理学でも説明困難な素粒子の不思議な運動性質を、見事、遠い過去から射抜いているようで凄い▼部屋を整理していたら、20年程前の本の中に、いま話題の人工知能(AI)について作家達の会話があるのをみつけ、しばらく読み返した。「人工知能が自然界や物理の新法則を発見し続けるだろう」と鋭く自由な洞察が続く。AI活用が課題として差し迫る現在だが、まだ縁の薄かった時代の識者達の伸び伸びとした想像力が新鮮だ▼この本の会話では、コンピュータが超人間的思索を得る可能性が指摘され、「恋愛感情など説明しづらいものも、曖昧なものを曖昧に扱う技術によって人工知能が理解するようになる」などの発言がある▼そうだ、個人の詳細情報をAIが握れば、A君の最適パートナーはB子などと、AIの力でベストな恋愛なり結婚が導けるかもしれない。星占いなどより恐ろしく正確で商売になるかもだ▼けれど、そんなAI頼りの時代になれば、人間は主体性を失い、人間力も想像力も失い、やがてAIが支配する未来になりそう、と勝手に想像してしまう。