コラム

2014年10月10日号

 民度—という言葉を取材先の雑談時や、飲み屋のカウンターと公私を問わず何度か連続して聞いた。意味は感じ取っているが、日常そんなに使う言葉じゃないと思っていたから、「みんど」の響きは妙に耳へ残る▼辞書を引くと民度とは、ある地域に住む人々の生活水準や文化水準の程度、とある。ネット検索ではヒット数が思いのほか多く、民度を切り口にしたブログなど様々だ。けれど安易に「民度」を持ち出し、国や地域を比べることは差別意識や、ゆがんだ優生学を育てないか。いや、使う側は得てして、ある種の差別感情を「民度」に込めているようだから、タチも悪い▼気になったのはもう一つ「日本人は民度が高いからダメだ」という若い人のねじくれた台詞だった。何を知ったふうにとその場は返したが、まったく分からないでもない▼日本は文化水準が高く、全体として行儀が良く協調性もあるが、けれどそんな優等生から創造するエネルギーなんて出てこないと、その若者はイッパシにぶった。民度の高さとエネルギーの欠如はコインの表裏、実は一つものと言っているようだった▼国際化が言われてうん十年、いろんな点で海外のレベルを肌で感じる機会が増える一方、気づくと「真面目でオトナシイ日本人」が理不尽に振り回されるシーンも目立つようだ。「民度」なる言葉が日常会話に上る理由は、同時代を生きる人間として分かる気がする。しかし危うい感情が交差し、吹き溜まっている風景も見えてくる。