オヤジの喜怒哀愁

2014年10月25日号

ひとりになれる場所

2084

 「三上」という言葉がある。考えをまとめたり、文章を作ったりするのに最適の場所として古くから語り継がれている言葉で、ご存知の方も多いだろう。中国の欧陽脩という人が「帰田録」という本の中に「余平生所作文章、多在三上、乃馬上、枕上、廁上也」と書いているのが原典だ。
 馬上、枕上(ちんじょう)、廁上(しじょう)で三上。最近はいいアイディアを思いつく場所という意味で使われることが多い。馬上は馬に乗っている時、枕上は枕の上、即ち横になっている時、廁上は読んで字のごとくトイレに入っている時のことだ。とはいっても、何のアイディアもないゼロの状態でトイレにこもったからといって、何かを思いつくというものではない。そんな手品のような都合のいい話ではないのである。
 欧陽脩は11世紀の中国の官僚、文学者で大変な勉強家なのである。だからいつも何か考えている、文章をつくり推敲を重ねている。そんな生活の中で、馬に乗っているとき、横になっているとき、トイレに入っている時にふと考えがまとなる、考えにぴたりと合った表現が見つかるということなのではなかろうかと思う。
 千年も前の言葉だけれど、三上には都市生活者の匂いのようなものを感じる。11世紀の中国の町がどんな様子だったのかは知らないけれど、おそらくは人や組織や大きな建物に囲まれてなかなか自由な時間、ひとりになれる時間がとれなかったのではないかと想像する。忙しい生活の中で移動している時や寝る時、トイレにいる時というのはホッとする時である。
 その心地のいい孤独感には都市生活者の匂いがするとともに裏返しの制約を感じる。制約の中の自由と快感、そしてひとりになれる場所。そこに三上の秘訣が隠されているように思う。枕上、廁上はともかく馬上を現代に置き換えればさしずめ自動車で移動している車中ということになろうか。三上には都市化の進んだ現代にも一脈通ずるものがあって、それがいまだに語り継がれている理由なのではなかろうか。