コラム

2018年11月10日号

 深夜。都心の神社。露店がぎっしり並び、その回りを一部囲むようにビル3階ほどの高さに積み上げられた無数の提灯が煌々としている。思わず誘われた▼関東で馴染みの「酉(とり)の市」だ。歩きにくいほどの混みよう。商売繁盛を願って縁起物の熊手を買い求める人や、急ごしらえの客座敷に上がりこみ宴会に興じる若い人でごった返し、春の花見のような賑わいだ▼飾りつけた熊手は、千円前後から10万円もするものまでいろいろ。客は一旦値切っておいて、最後に値札との差額を「ご祝儀だよ」と店側に渡すのが流儀だと、直後に訪ねた飲み屋で聞き、いたく感心した▼関西出身の同僚に話すと「東京はずいぶんややこしいんやね」とそっけなかったが、合理性や効率性を追い求め、その進捗管理も怠れない今の企業社会で、値引き分を祝儀として渡し返すなんて発想は生まれそうにない。そもそも、処理の仕方によっては問題になってしまう。そんな現実に照らすと「市(いち)」のスタイルは小気味よく新鮮だ▼「市」には市らしい匂いと情緒が今も残る。粋な会話を導く為の仕掛けも、流儀や慣習としてしっかり根を張る。そこには、現代人が忘れかけたものがあるようだ▼合理性からは離れた会話が導く人の触れ合いも悪くない。いや、普段でも、少し回り道をすることで人づきあいなどが上手くいくことは少なくない。ガチガチの合理主義では拓けないこともあると、古い文化が教えてくれる。