オヤジの喜怒哀愁

2018年11月10日号

愚親にして愚息

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 愚息が通う専門学校の先生から手紙が届いた。成績が芳しくなく、就職活動もうまくいっていない、一度話し合われることをお勧めしますと書いてある。
 二十歳も過ぎているし、オヤジに仕事の面倒まで見てやれる甲斐性はないので話し合ってどうなるものでもないのだが、一刻も早く扶養家族を減らさねばの一心でのこのこと愚息宅に出向いた。事前に行くことを伝えていたのにドアホンを鳴らすこと10回、声をかけドアを手で叩くこと5回。これは留守かもと思って廊下を引き返した背中でようやくドアが開いた。この真っ昼間に寝ていたのだ。
 かような体たらく、しかも髪は赤く染めている。こんな男が面接に行って採用する会社があるのだろうか、親の顔が見てみたいもんだ。聞けば、来春の就職は半ば諦めムードで再来春に賭けたいと呑気なことを言っている。
 ここで映像は暗転し、「33年前」というテロップがスーパーインポーズされる。若返ったオヤジが工事現場で働いている姿がフェードインしてくる。学校は卒業したけれど就職しそびれた若き日のオヤジは、学生時代のアルバイト先に戻って働いていた。当時はニート、フリーター、パラサイトなどという言葉はまだ存在せず、「モラトリアム人間」だの「ピーターパン・シンドローム」などと言われた時代である。

ちっぽけな求人広告
 そんなある日、ヤング・オヤジの目に新聞に載っていた編集記者募集の三行広告が目にとまった。「編集記者」の4文字だけが大きな活字で、あとは虫メガネでないと読めないような小さな字で「歴持」「委細面」とか、社名、連絡先のみが記されている。本当に三行に収まったちっぽけな求人広告だった。記者になりたいと思っていたわけではないが、昔から文章を書くのは嫌いではなかったので、試しに面接に行くと、社長を入れて総勢4人と会社も広告並みに小さい。すぐに、あすから来い、ということになって結局そこで10年働いた。それからの記者稼業は食えない三文ライターの時代もあったし、ローマの休日の新聞記者ほどではないにせよ楽しいこともあった。
 映像はここで再び現在に戻る。オヤジの社会人としての出発点はそんな小さな求人広告だったのだという話をして、社会への第一歩を踏み出せないでいる息子の頭でっかちを諌めたつもりだが、その結果がこの狭いワンルームで対峙する愚息と愚親なわけで、威張れたものではない。とにかくそんな話をしてとぼとぼと家路に就いた。