オヤジの喜怒哀愁

2018年12月10日号

コタツにみかん

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 みかんの季節になった。「コタツにみかん」といえば冬の茶の間の原風景だし、子どもの頃、行楽列車で食べた冷凍みかんも懐かしい。大衆果実の代表と言っていいと思うが、今はバナナとリンゴに抜かれて第3位に甘んじているという。世界中から変わったフルーツが輸入されてきて消費者の好みは多様化しておりみかん生産量はピークに比べると落ちている。
 みかんを取り巻く事情はそう簡単ではなさそうだということはわかる。が、事情が大変なのは何もみかんに限ったことではなく、みんな大変な思いをして生きているのだ。なので、そこらあたりの事情や環境変化をみかんには言い訳にしてもらいたくない。そんなことをしてもみかんのためにはならないと敢えて諫言したい。問題はみかんを取り巻く事情ではなくみかんそのものの味にある。
 近年のみかんは甘い。これは果実全般についても言える。甘い方がよく売れるものだから生産者はもっともっとと甘いみかんづくりにシフトする。甘い方を選ぶ消費者も悪いと言えば悪いのだけれど、大衆に迎合したつもりで結果的に大衆離れを引き起こしているというのが今の甘いばかりのみかんではあるまいか。

頭酸足甘
 今更言うまでもないが、みかんのおいしさは甘みと酸味のバランスにある。甘みがあるから酸っぱい、酸味があるから甘い。みかんの味はこういう関係で成り立っているのだから、酸味がなければ本当の甘みもない。だから、甘いばかりのみかんを食べていると一体何を食べているのかわからなくなってくる。
 言ってみれば今のみかんは、頭がボーッとするくらいエアコンをガンガン利かせた生温かい部屋のようなものである。甘みに幻惑されて肉体はうっとりと弛緩しきっている。
 対して酸味というものは肉体を緊張させる爽やかな刺激をもっている。つまり、甘みと酸味のバランスのとれたみかんとは、やはりコタツなのである。部屋の空気は冷たく澄んでいて頭は冴えている。しかし足元はぬくぬく暖かい。頭寒足熱、頭酸足甘。
 みかん生産者の方はぜひ、初心に戻って、あの初恋のような甘酸っぱいみかんづくりに立ち返ってほしいと昭和生まれオヤジは願う。