オヤジの喜怒哀愁

2019年2月10日号

薪の火力

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 以前、借りて住んでいた家は山を背負っていて、よく木を切った。強風の後は倒木があったし、適当に枝を払わないとすぐに家が山に埋もれてしまうため仕方なく切っていたのだが、家にはかまどがあって気が向くと薪で飯を炊いた。
 木をかまどの奥行きに合わせて30センチぐらいの長さにチェーンソーで切りさばき屋根の庇の下に積んでおく。庇の幅が浅いので雨に濡れてなかなか乾かない。どうかするとキノコが生えている。それでも1シーズンも放っておけば大分乾いてくる。そろそろいいだろうということで斧で薪割りをする。
 生木は切れても割るのは無理だ。いくら強く斧を振り降ろしたってそのまま刺さって今度は抜けなくなってしまう。それが1年も置いておくとパキッと割れる。力は要らない。ただ、重さなりに斧を降ろせばパキッ、あるいはパラリ、スパッ、コロリンと薪が割れる。これがなんとも気持ちよく、調子に乗ってくると薪割りは楽しい。
 乾いた木でも太い枝が枝分かれした部分は木目が入り組んでいて堅くてなかなか思うように割れない。割るのはあきらめて、いつか彫刻でもやろうなどとそのままになっているのが2つ、3つと辺りに転がっていた。もちろんいつになっても彫刻などやるはずもないのだが。

芯に火が届く
 かまどで炊いた米はうまい。その秘密は火力にある。強いこともさることながら、ガスや電気の均一な火と違い大小強弱、硬軟緩急いろいろな火が織り合わさって米を芯から炊き上げる。ガスコンロの火など眺めていてもちっともおもしろくはないが、焚き火を眺めているといつまでも飽きがこない。かまど炊きの飯がうまい秘密はそこにあると思うのだ。
 今は引っ越してかまどがないのがさみしいけれど、いつか薪ストーブを置くのが夢だ。暖かいし、火を眺めていれば一晩中飽きない。妻と二人暮らしになって会話がなくても薪ストーブさえあれば冬場はなんとかしのげる気がする。
 前に訪ねた古民家にやはり薪ストーブがあった。寒い日だったが、すぐに身体の芯が暖まってくるのがわかる。ストーブ脇のソファーにはご主人の愛猫が丸まっている。聞けば、ストーブの点火とともに一日中そうやっているのだそうだ。うらやましいのは猫様である。