オヤジの喜怒哀愁

2019年4月10日号

打つ手の力

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 小生が仕事をするようになった頃はまだ手書き原稿の時代で、原稿を和文タイプで打ち直して版下を作り、フィルム製版して輪転機にかけていた。印刷会社に頼む時は手書き原稿を渡して版組みしてもらい、校正して印刷に回した。ところが印刷物の制作工程はこの30年の間に様変わりした。
 まずはワープロが登場した。和文タイプは活版印刷と同じでその都度活字を手で拾う。活字の大きさは本文用と見出し用の数種類しかなかった。普段あまり使わない活字は別の箱に入っていて、それをピンセットでつまんでセットしたりする。版組みは紙の切り貼りだった。添削がある場合は、削除する文字数と挿入する文字数がピッタリ同じになるように文章を考えたものである。そうしないと余白が空いたり、行送りになったりして全体の行組みがずれて切り貼り作業が大変になるからだ。
 ところがワープロは活字の大きさはいろいろ選べるし、何といっても添削、組版の編集作業が楽であった。多少文字数が減ろうが増えようが自動で文字を送ってくれる。後から一括して行間を変更したり、活字の大きさを変えたりしてレイアウトを修正することも僅かなキーボード操作で可能だ。そのうち原稿を手で書かなくなった。

タイプ、ワープロ、パソコン…
 印刷業界でもその時代に技術革新が起こり、活字を拾う活版印刷会社が次々に姿を消し、フィルム製版のオフセット印刷が主流になった。そしてDTPといわれるパソコン時代が到来し、ひとりの人間が印刷物の制作工程のすべてをパソコン上で行うことが可能になった。だが、誰もが本職顔負けの印刷物を作れるようになった反面、それまで専門分化していた職人技は失われつつある。
 和文タイプを打つ作業は決して嫌いではなかった。慣れると活字の場所を手が覚えて調子よく打つことができたし、印字が潰れないように活字によって微妙に打つ力を加減した。制限された字数のなかで文章を考えることは訓練になったし、うまくハマったときには喜びがあった。そこには手と頭と心のバランスがとれた仕事があったように思う。
 いま、この原稿はMacで打っているけれど、DTP時代にあっても作業する手を通して心が伝わるような仕事がしたいものだ、と時代遅れのオヤジは思うのである。

(2019年4月10日号掲載)