コラム

2019年5月15日号

 僕らは三無主義と言われていたな―。そう思い出したのは「内向き志向の若者が増加」というネット解説記事を読んでいた最中のこと。三無主義の三無は無気力、無関心、無責任で、昭和50年代の若者気質を表す言葉だった▼学生運動の嵐が過ぎ、生ぬるく、かったるそうに自己中心の生活をむさぼる当時の若者をそう呼んだのだが、敢えて「主義」と言葉を加えたのがおかしいやら、気に食わないやら▼無感動も足した四無主義なる言葉も登場し、渦中の一人(?)としては、よくもいいたい放題言えたものと、前世代の品の無さを呪ってみたっけ▼けれど今になって少し視点を拡げると、三無主義者の背中を見て育った子が今度は「内向き志向」と呼ばれているようで因果がありそうだ。年の差も「三無」と「内向き」でちょうど親子間ほど。DNAのバトンはスムーズに渡る▼ところが、かつての「三無」は「内向き」を、何かを棚に上げたまま時に堂々と批判する。結局、古代エジプトの石版に記されていたという「今の若者はなっていない」の年長者の愚痴が、5000年ほど経った今なお脈々引き継がれているということか▼そうだとしても、内向き=閉じた世界が広がっているのは確かなようで気になる。平穏な現実世界の裏側で、悪意に満ちた心無い誹謗中傷がネットを飛び交う現象とも重なっていそうだ。変えるべき事は多い。その舵取りはきっと、時代感を同じくする同世代の人間の仕事だろう。