オヤジの喜怒哀愁

2019年5月15日号

昭和は遠くなりにけり

23450

 「降る雪や明治は遠くなりにけり」は、俳人の中村草田男(くさたお)が詠んだ有名な句である。明治が大正に改元され、大正が昭和に改元されたのちの昭和6年に出版された句集にこの句は収められている。明治が終わってから約20年後のことだ。
 昭和が平成になり令和という新しい時代を迎えた。昭和が終止符を打ってから30年。「降る雨や昭和は遠くなりにけり」とこの句をパロッて一句吟じたとしても早すぎるということにはならないだろう。実際、昭和生まれの自分はなんだか急に歳をとったような気がする。
 敗戦を経験したあとの昭和は、一刻も早くそこから立ち直らなければならないというものすごいエネルギーとスピードに満ちたおもしろい時代だったと思う。自分は昭和を27年間、平成を30年間生きたけれど、平成よりも昭和という時代の雰囲気の中で人間形成されたという感覚をもっている。なんでも貪欲に吸収し、多感な若いころの体験はいくつになっても鮮烈な印象を残しているものだ。

 新しい時代に期待するもの
 昭和はたしかにエネルギーに満ちていたが、反面で外的な要因に翻弄され、振り回され、踊らされた時代でもあった。戦争しかり、経済しかりである。昭和天皇が崩御した1989年といえば、高度成長からバブル絶頂を迎えた時期で、日経平均株価は同年暮れに史上最高値3万8915円をつけて以来、いまだにその水準を回復していない。昭和の終わりは間違いなく日本経済の分岐点でもあった。バブル崩壊という経済的な敗戦は、振り返ってみればマネーゲームに踊らされたことの当然の帰結だったように思われる。
 経済が変わると人の価値観も自ずと変わっていくものだが、それはまた手のひらを返すように急に変わるものでもない。平成という時代は昭和の価値観を強く引きずりながら、その清算と新たな価値観の模索に大変苦労した時代だったように思う。そしてそれに対する本当の答えは令和に持ち越されたように思う。
 新たな価値観はおそらくゆっくりと醸成されつつあるのだろう。もしもそれが、誰かに踊らされるのではなく、自律的に自ら踊るものとして生まれ変わるのなら、いとおしい昭和がセピアカラーに染まっていくのを甘んじて受け入れよう。