オヤジの喜怒哀愁

2019年7月25日号

ボサノバ

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 1960年代、我が家のサニーの運転席と助手席の間にはエイト・トラックのカーステレオがついていて、そこからエンドレスで流れ続けていたのはボサノバだった。運転はもっぱら母親で、助手席でステレオを操作していた父親の趣味だったのだろう。
 ボサノバは50年代後半に生まれ、60年代に世界的ブームになった。きっかけになったのが「イパネマの娘」の大ヒットだった。根拠はよくわからないが、世界で5番目によくかかる曲だそうだ。62年にアントニオ・カルロス・ジョビンが作曲、ビニシウス・ジ・モライスが作詞した。同年8月にリオデジャネイロのコパカパーナのナイトクラブでギターのジョアン・ジルベルトを加えた3人で初演された。この3人がボサノバの創始者たちだ。
 63年にはジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツとジョアンがアルバムを発表。当時ジョアンの妻で無名だったアストラッド・ジルベルトがどこかたどたどしい英語で歌った「イパネマの娘」がシングルカットされ爆発的に売れた。
 ブラジルの音楽には「サウダージ」と呼ばれる独特の郷愁感がある。サウダージには夕暮れ時の海がよく似合うリゾート感がある。海辺の民である我々日本人の心の琴線にも触れるものがある。

ジョアンの死
 シングルではジョアンがポルトガル語で歌った部分はカットされたが、ギター1本の弾き語りで歌うジョアンの「イパネマの娘」は、洗練されたコード展開とブラジル伝統のサンバのリズムをベースに優雅にラテンの情熱を伝えてくれる。それにポルトガル語が持つ語感は、ボサノバのリズムと一体のものだ。
 アストラッドはその後もボサノバを英語で歌い続け「ボサノバの女王」として飛行機で世界を股にかけた。ジョアンのほうは飛行機嫌いで長くアメリカ大陸から出なかった。2人はほどなく離婚している。
 今月6日、ジョアン・ジルベルトは88年の生涯に幕を閉じたが、それを予期していたかのような大きなイベントが2つある。一つは、長らくお蔵入りしていた06年の東京公演のライブ映像がさる5月にリリースされたこと。もう一つは、10年以上も公の場に姿を現さなくなったジョアンに会うためにゆかりの人や場所を訪ね歩く映画「ジョアン・ジルベルトを探して」が今夏公開されることだ。

(2019年7月25日号掲載)