コラム

2014年12月10日号

 忘年会は、一年の苦労を忘れ互いをねぎらう年の暮れの宴会だが、これは日本唯一の風俗で、海外諸国には忘年会に相当する言葉すら無いと聞く▼だから日本特有のナアナアの文化だと批判も出るが、基本まあいいじゃないかと受け流したい。過去を水に流し、争わず許容して次に向かおう、そんな前向きな協調精神が忘年会の根にあり、形骸化してはいるのだろうが悪い気はしない▼けれど、いささかお人好しの文化を象徴するものでもあろう。例えば国際社会で忘年会的甘い発言をすれば、時に過去の清算がなってないとつけこまれ、散々叩かれる要因になる▼「忘れてくれる」を逆手に取ったような話もある。以前とあるセミナーに関わった時、10年後の社会を大胆予測した講演者は打ち上げで「予測が間違っていてもいいんだよ。10年後に振り返って覚えている人なんて絶対いない」そう、一笑してみせた▼日常にもある。スポーツ解説などでは「以前の発言と矛盾した都合のいい後講釈」がこっちにもあっちにも。しかし忘れ、許されるからかあまり改善されない。これも忘れてくれる聞き手だとみくびっているのか▼水に流す、忘れてやるという行為は大人(たいじん)の度量に通じるものがあるが、敢えて忘れ去るという、その肝心の中身が掴めていなければ間抜けというもの。選挙公約の受け止め方もそう。できなかったことを水に流し再挑戦を促す選択肢はあるとしても、社会の側に健忘症が蔓延してしまうと国家が沈む。