コラム

2020年1月1日号

 謹賀新年。お正月おめでとうと挨拶しつつ、実感は年々薄れている。保守的な田舎町育ちの小生にとって昔の正月は特別なものだったが…▼実家では12月半ばから普段と変わり、煮しめなど正月料理の匂いが台所から流れた。鏡餅を米屋が届け、床屋に行かされ、大掃除を手伝った。門松の据付けは父の役だ▼一連の行事の最終章は、家族が正座して相対する元旦の朝の挨拶。これが苦手だったが、お年玉を受け取るまで神妙にしていた。そう、正月は芝居じみた長い儀式のようだった。当時、地域のほとんどの家で似た家族の光景があったと思う▼いや、こうした正月の風景は、戦争など有事の時を除き、日本で何世代も続いてきた筈だ。変化の兆しは小生の子供時代にもあったが、近年は急速に変わろうとする▼例えば、起源が平安時代の宮中料理ともされる「おせち」。JA全中の4年前の調査で8割が「家族のだんらんにつながる」と評価したように、昔も今も欠かせないが、手作り派は年々減少のよう。おせちを「通販・ネット注文した」が7割を超えた調査もある(複数回答・昨年、ハースト婦人画報社)▼決して懐古にふけりはしないし、ネットがダメとも思わない。ただ、経済や事業活動だけでなく、文化や暮らしも猛スピードで変化し、後戻りしなくなった。知らぬ間に喪失感が広がっていると、ふと感じる▼「子年」は十二支で最初の年。失うべきでないものを、この1番バッターの年に見つめてみたい。

(2020年1月1日号掲載)