コラム

2020年2月25日号

 ポジショントークに終始する人はがっかりだね、記者同士でそんな話になる。自身の立場に限定した都合のよい話だけをし、質問を繰り返してもはみ出す事がない。そうした取材は面白味のない予定調和で終わってしまう▼新型肺炎の問題でも、安心を与えるのが自分の立場と腹に決めているのか、素人目にも安直に映るコメントを繰り返す医療関係者がいたりする。そうかと思えば、不安をかき立てる報道もあるが、多くはこれも自身の(番組の、出版社等の)立ち位置に拠るものだろう▼不測の事態が起きた時は、こうした自己都合の見解が特に目立つ。そのポジショントークがもたらす白々さや、傍目に迷妄な内容に、気分を害した経験もおありではないか▼流行語になった「忖度」も、人間関係における立ち位置に起因していて、忖度する側は、妙な使命感というか、時に大義名分を担っているふうだから始末が悪い▼昔、知り合いのコメンテーターが「視聴者の心を掴むには個性とインパクト。理屈は通すが、間違った憶測でも人はすぐ忘れてしまうから大丈夫さ」と話したことも思い出す▼かくして、何を信じてよいのやら。ポジショントークと思惑と情報が大量に交差するなかで学ぶべきは、自分自身の洞察力、見極める眼、そして判断を磨くことなんだろう▼時代は高度情報社会と言われ久しいが、過去に期待された便利さよりも、惑わされない自分をどう保つかが、実感として重みを増している。 (2020年2月25日号掲載)