オヤジの喜怒哀愁

2020年2月25日号

梅先生

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 ここ数年、梅の実の成りがよくないと知人に愚痴ると梅の先生を紹介してくれた。先生は長く農業試験場に勤めた人で御年90歳になる。先生の梅畑は以前は田んぼだったところで、一反ほどの土地に約50本の梅の木があった。どの木も低くきれいに剪定が施され、あたりには無数の枝が整然と置かれている。12月、1月の剪定をちょうど終えたところだった。
 先生は杖をついており歩行がだいぶ困難のように見えた。この足でひとりでこれだけの剪定を終えたのかと思うと、気が遠くなる。歳をとると脚立に乗るのもだんだん怪しくなってくるので果樹は低木化せよ、そのほうが作業労働性が高まると言われた。
 たしかにその通りとは思うが、梅は放っておくと枝の先へ先へと実がつくようになるのでなかなか思い切って切れないのだ。だが、先生の梅の木は太い主幹から短く伸びた小枝にことごとく花が咲いており、そこに実がつくわけだから収穫作業は楽だろう。
 この枝は将来邪魔になるから落とすとか、この枝を残せば実がつくとか、樹形はこうなるとか、手に取るようにわかるからできる高度な剪定技術なのだ。

90歳で植える苗木
 とても一朝一夕に真似できる技ではないと早々に諦めたが、先生は一所懸命にいろいろと教えてくれる。そうしてわかったのは、先生がこの梅の木たちを我が子のように愛しているということだ。そうでなければこの寒さの中、不自由な足で何千本もの枝を落とすことなどできるはずはないのである。
 先生は空いた土地に新しく梅の苗を植えるための深さ50センチほどの穴を掘っていた。この穴を一つ掘るのだって大変だろうと察しがつく。雨が降った後、急いで穴を見にきて印をつけ、8時間後にまたきて水はけの状況をチェックし、それによって盛り土の高さを調整するのだという。先生がいくつまで生きられるかはわからないが、この苗木が大きな木に育った頃には、先生はとっくにこの星にサヨナラをしているだろう。
 翻って見れば、まだ還暦前だというのに終活などという言葉が気になりだして、もうなるべく新しいことに手を広げまいとしている我が身を恥じるのみ。まだ老け込むには早すぎると自戒した梅畑からの帰り道だった。

(2020年2月25日号掲載)