コラム

2020年4月25日号

 自覚が足りない―と何度言われただろう。小学校高学年の頃、分厚いメガネの学級委員(昔の優等生像の典型だった!)からそう言われ、そもそもキミは自覚の意味さえ分かっていないと非難の連打を浴びた記憶もある▼この時はもう面倒くさくて殴りかかってしまったが、以降、高校生としての自覚を、社会人としての自覚を、大人としての…。不肖ゆえにいろいろ突っ込まれ、諭されてきた▼しかし、実感として正直、自覚ということがまだはっきり分からない。だから他人に「自覚しろ」とは安易に言わない▼理屈をこねるつもりはない。辞書には「自覚とは自分の立場を知ること」、「自分の価値を知ること」、「わきまえること」とあり、そう受け止めることはできるが、とすれば他人が言う「自覚しなさい」には上から目線の、偏狭で傲慢な響きが伴いそうだ▼しかしそんな小生にも分かるのは、自覚らしきものを失いつつある人が増えていそう、という点だ▼自分に向き合い、真摯に反省したり、自己確認を繰り返していれば、決してそうはならない事象が目立っている▼他愛のない発言がSNS上で炎上する。政策などの不手際を、ここぞとばかり嵩にかかって非難轟々。違う違う、そうだそうだ。瞬間瞬間の感情の波が激しい言葉となって社会を巡る。そこに「自分の立場を知って、わきまえる」意識はあるのだろうか▼非常時ゆえ暴発しやすく、ストレスも溜まっているが、今こそ自覚する意思は必要のようだ。