オヤジの喜怒哀愁

2020年7月10日号

吉祥寺の名店

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 30代に吉祥寺に住んでいた。駅の北には闇市の名残を留めるハモニカ横丁、南には井の頭公園。都心から少し離れた気安さで居心地がよく、名店も多かった。
 辺りにもうもうと白煙が立ち込めるいせやは総本店と公園店の2軒があるが、通りに面してカウンターのある総本店が通好みでよく高田渡が飲んでいた(ような気がする)。ガツ刺しとハツ塩を梅シロップを垂らした焼酎で流し込むのが流儀である。
 ファンキー、サムタイム、メグ、赤いカラス、ゴールデンバットなどジャズが聴ける店は多かった。ライブはもちろん、JBLパラゴンや青光りするマッキントッシュの真空管アンプでレコードを演奏してくれる。
 ひとつ隣駅の西荻北口にはチャーリー・パーカーを敬愛するマスターがいるガレという店があった。マスターが体調を崩した少しの間、この店を手伝ったことがある。夜中過ぎまで店で音楽を鳴らし家に帰ると、疲れていても耳が高ぶって朝まで眠れないことをその時初めて知った。音楽を流す店をやるのはなかなか大変なことなのだ。

井の頭公園
 公園の入り口にはモカというコーヒーの名店もあった。標(しめぎ)さんというマスターが自家焙煎した豆を挽き、ネル袋でハンドドリップしてくれる。まったく苦くない。香りがあり、酸味があり、どこか甘味がある。上質の赤ワインのような深い味わいがある。モカのコーヒーより美味いコーヒーを後にも先にも飲んだことがない。
 著名人をたまに見かけた。漫画家の楳図かずおはいつも元気に足早に街を闊歩していた。徳井優(引越しのサカイのCMでブレイクした俳優さん)とは会釈を交わす仲だった。原田美枝子、石橋凌の役者夫婦は我が家の近くのスーパー・マルナカで買い物をしていた。
 こんなこともあった。いせやのそばの下駄屋という居酒屋で武蔵野美人のママと別れた後、公園の池の真ん中の橋で若い追い剥ぎ集団に待ち伏せされたことがあった。「今何時だ」と訊くので「そーねだいたいねェ~」と桑田の真似をしたら盗賊の頭が「通してやれ」と放免してくれた。けっこう物騒な街なのだ。
 ずいぶん前のことなのですでに閉めた店もあるし、いまだ健在の店もある。コロナが落ち着いたら久しぶりに行ってみよう。

(2020年7月10日号掲載)