オヤジの喜怒哀愁

2020年7月25日号

引き際

28554

 「シュウカツ」といえば以前は就職活動のことだったが今や「終活」のほうが通りがいい。お墓を買い、身辺整理をし、子孫に禍根を残さないよう財産相続のめどをつけておく。この世からおさらばするための終息活動。「立つ鳥跡を濁さず」という言葉も想起される。
 何か新しいことを始める時にそれなりの準備や勇気、覚悟が必要ということはわりとわかりやすい話なのだが、何かをやめる時にもそれらが必要になるというのは少し想像しにくい。その何かが大きなものであればあるほどやめる時には準備と決断が必要だ。
 終活ならずとも人生にはいくつかの引き際がある。仕事、ポスト、人間関係などいろいろだ。
 スポーツ選手が引退する時によく「引き際の美学」ということが言われる。現役ばりばりで、まだやれるゾと惜しまれつつ若干の余韻を残しながらやめていく選手がいる一方で、かつての栄光はとうに踏みにじられぼろぼろになりながらも最後までしがみついていくつものチームを渡り歩き刀折れ矢尽きもはやこれまでとすべてやりつくして消えていく選手もいる。

煙に巻いて
 まだやれるのにやめていく選手、もうできなくなってやめていく選手、どちらが美しいかは一概には言えない。ただ、「引き際の美学」「引き際が肝心」といわれるということは、それだけ引き際が難しいということでもあるのだろう。売り買いを表す相場格言には「買いは悠々売りは早かれ」とか「引かれ腰は弱く」など買い時よりも売り時を諌めて秀逸なものが多い。これも手仕舞うことが難しいことのたとえである。
 引き際が難しいのは、一つには自分だけの都合で決めるわけにも行かないからだ。周囲との関係や後継者がいるかなど。自分だけの都合で居座って周囲や後継者が待ちくたびれているというのは結構ありがちなこと。
 マッカーサーが引退に際して引用した言葉に「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」というのがある。この言葉、よく考えてみると何を言っているのかよくわからないところがある。まだやれると言ってるようで、もうやめると言ってるようで。コーンパイプで煙に巻いたか。願わくは、跡を濁さず、後を煙に巻いてフェードアウトしたいものである。