オヤジの喜怒哀愁

2015年2月25日号

髪型の謎

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 昔の写真を見ていて、何が時代を感じさせるかといって、髪型ほどそれを感じさせるものはない。髪型というものはその時代に貼り付いて一歩も動こうとしないかのようだ。それだけ流行り廃りが激しい。
 坊主頭がヒッピーになる。街中が松田聖子のようになったかと思えば、ワンレンがそれに代わる。例が古い感は否めないが、あとの時代になって振り返ってみると、猫も杓子も誰もがこの髪型でなければならぬと、どうしてそこまで固執したのかよくわからない。
 日本男子の礼装たる髪型に古来、月代(さかやき)がある 。おでこの生え際のところから頭のてっぺんにかけて剃るか抜くかしてツルツルにしておき、両横と後ろから髪の毛を束ね上げてちょんまげを結う、あのスタイルである。
 頭のてっぺんだけをツルツルに剃り上げていた民族がかつてこの人類史上に存在しただろうか。これは、まったく日本民族固有の特異な風習ではなかっ たか。
 月代の起源は謎に包まれている。誰が、いつ頃始め、何故広まったのか、実際のところよくわかっていない。わかっているのは大体こんなところ。
 月代は案外と古くから髪型として我が国に存在していたが、急速に広まったのは戦国時代の後期になってからで、江戸時代には武士から町民、農民にまで一般的な風習として広まり、明治の断髪令までそれは続いた。戦国時代に広まったのは、やはり兜をかぶることと関係が深いらしく、暑くてのぼせるのを防ぐためともいわれている。
 ただし、機能としてそれほど有効なのであれば、現代においても戦士や、ヘルメットをかぶる商売の人にひとりぐらい月代を剃っている人がいてもよさそうなものだが、ひとりも見当たらない。よって、これはやはり流行り廃りの類いであろう。
 ここにひとつの推理がある。それは、月代を始めたのは信長で、実は若禿げを隠すためだった。そして、家臣団がそれに倣ったのが起源だというのである。真偽のほどは神のみぞ知るだが、この仮説、「ハダカの王様」にも似た警鐘を含んでいておもしろい。