オヤジの喜怒哀愁

2015年3月25日号

日本の貧しさ

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 家を出て首都圏に暮らす娘たちが春休みで久しぶりに家に帰ってきた。離れて暮らしていると娘たちの顔をみるのは何にもましてうれしいものだ。妻は張り切って料理を振る舞っているし、地元にいる年少の兄弟姉妹たちも普段になく活気づいている。
 しかし、一家揃って夕げの食卓を囲んでいて改めて思うのは、なんでいつも一緒にいられないのだろうということである。口に出していうことはないけれど、地元で暮らす親ときょうだいたちが家族の帰省で活気づくということは、裏返せば日々の普段の暮らしの中では家族の欠落を感じているということだ。それは、親元を離れて暮らす娘たちにしても同じことだろう。あるいは、羽を伸ばせてせいせいしているかも知れないが。
 家族が毎日顔を合わせて食事ができないということは、老い先のそうは長くない我が身の生活の質という点でもどこか貧しさを感ぜずにはいられない。
 一極集中の弊害や地方分散の必要性が叫ばれながらも依然として大都市圏への人口の集中は止む気配がない。人口も仕事もインフラも大都市圏に集中している。我が家同様、地方都市からは人口が流出して家族が欠落していき、過疎化が進む。
 人が集中して住んでいるということは、投資効率としてはおそらくいいのだろう。電気、ガス、上下水道のライフラインや交通網、各施設などのインフラ整備を集中して行うことができる。東京の都心では地下鉄網が張り巡らされ、どこにいてもすぐに駅がある。そうして張り巡らされた網の中で人々の仕事や娯楽やお金がものすごいスピードで渦を巻くように回っている。
 社会資本が効率的に投下された都市での生活はたしかに経済的な豊かさを享受できる。他方、環境という点では自然が残っている地方のほうがはるかに豊かである。問題は、都市と地方とに家族が引き裂かれ、都市で暮らす者も地方で暮らす者も欠落感と心の貧しさを抱えて生きていることだ。それは日本の貧しさなのだ。