オヤジの喜怒哀愁

2015年4月10日号

100イニング

3699

 2010年10月25日号「ジャムのフタをあけるとき」で始まったオヤジの社会学は、早いもので今回で連載100回を迎えた。そろそろベンチからピッチング・コーチが飛び出してきて降板させられるのではないかと思っていたら続投を命じられ、しかも、100回記念に特別版を書いてよろしいという。ありがたいことである。
 連載は4年半になろうとしている。振り返ってみるとこの間、短いようでいろいろなことがあった。なんといっても、連載を始めて間もなく起こった東日本大震災である。
 巨大地震と大津波、そして迫り来る放射能の恐怖。家族を失い、家を失い、車も職場も何もかも失い、飲み水すら満足に手に入らない死屍累々の惨状。喪失、絶望、悔恨、虚無、疲労、飢餓 、深い悲しみ、家族の情… 眠れぬ避難生活を強いられた人々の胸中に去来するものはいったいなんであったろう。
 あれから4年がたち、復興の槌音も次第に聞こえてくるようにはなったけれど、いまなお避難生活を余儀なくされている人がたくさんいる。震災直後、真っ暗になった都会の夜は、いまは何事もなかったかのように灯りをとり戻し、不夜城が復活している。
 震災時、政権を担っていたのは民主党だったが、まったくの公約倒れの結果に終わり、いまはまた自民党に戻った。超金融緩和と財政出動によるアベノミクスで株価は上がり、円安が進んでいる。景気が上向き、一部で人手不足が深刻になるなど雇用情勢も上向いているという。
 ただし、昨年4月の消費税の5%から8%への引き上げ以降は景気に腰折れ感も台頭して、8%から10%への引き上げは先送りが発表された。発表直後に行われた解散総選挙で安倍政権は圧勝し、引き続き国民の支持を集めている。
 地方に住む身としては、アベノミクスの実感はあまり湧かない。大企業、富裕層、都市部にはそれなりの実感があるのかも知れないが、設備投資したい中小企業、雇用確保に汲々とする地方都市、賃金下落にあえぐ一般庶民など切実にお金が必要なところにお金が回ってくるのはまだこれからという段階なのであろうか。
 連載を始めた時、40代だった我が齢は50代になった。押しも押されもせぬ立派なオヤジだ。というか、初老にさしかかっている。 筆者がまだ記者として駆け出しだったころ、年配のデスクが眼鏡を外し、ページを舐めるかのように顔を近づけて辞書を引いていた姿を思い出す。いまは自分がスマホや辞書を見るとき眼鏡を外すようになった。酒量も落ち、涙腺も弛んできた。
 連載を始めた時、我が家には5人の子どもが住んでいたが、そのうち3人が首都圏にある学校に通うため家を出ていった。これが結構こたえる。子どもは出ていく、金は出ていくで、なんだか骨身を削られる思いがする。
 100回記念特別版というのになんだか寂しい話になってきた。やはりベンチの判断は甘かったのではないか。ひょっとするとブルペンでは、若くて生きのいいリリーフエースが急ピッチに肩をつくっているところかも知れないが、老骨に鞭打ってあと1つのアウト、あと1つのストライクをとるべくいましばしマウンドに立つ所存なので何卒、引き続きおつきあいのほど。