コラム

2015年7月10日号

 本号発刊日の7月10日は納豆の日であるという。ナナとトウで納豆、深い意味はないようだ。納豆はネバネバして臭いもあり、好き嫌いがはっきり分かれる。関西では食べないとか関東では日々の食卓に乗るなどと言われ、真偽の程は知らないが地域によっても納豆との相性はくっきり異なるようだ。来日した外国人に勧めると必ずしかめっ面をするから、慣れないと口に合わないのだろうと、素人なりに想像する▼知人の一人が、先日、もっと納豆のように粘らなきゃと真顔で言った。日本国民、この頃はお行儀だけが良く、地を出さないのか、協調性しかないのか、意見を戦わせず、素直に従うだけになってしまったと警鐘を鳴らすように言う。国会で議論の安保法案しかり、原発再稼動しかり。身近な討議もしかり。粘っこく支持・不支持を表明する人間がほとんどいないと嘆く▼同時代を生きる人間として、そうだなと思う。おとなしく従って右といえば右に行き、左を指されれば左に。意見や異論を仕舞い込むのは、出すぎたことと見られるからか、冷めているからか。恐らく人としてのエネルギーが足りないのではないか。そうしたそばでいろんなことがスウッと決まってしまいそうな状況は、どうみても危なっかしい▼ここにきて日本でも若者のデモが増えてきたが、これは今の社会が歓迎すべきことかもしれない。好かれるから、嫌われるからのレベルでなく、信を持って堂々と、前に出るべき時は粘りを伴って自己表現できる人間でありたい。