オヤジの喜怒哀愁

2014年6月25日号

五月晴れ

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 五月晴れというと、いまは5月の連休ごろのスカッとした抜けるような晴天のことを指すことが多い。が、もとは梅雨空の合間を縫って現れる晴天のことだった。よくある旧暦と新暦のずれによるいたずらだ。
 芭蕉の名句に「五月雨をあつめて早し最上川」がある。これも同様で、梅雨時の長く強く降る雨を集めて水量が増すから川の流れがいよいよ早いのである。5月に降る雨を集めて早し、では詩情は湧かない。日本文学に造詣の深いドナルド・キーン氏の英訳を見ると「五月雨」は「サマー・レイン」とされている。さすがに名訳だ。
 太陰暦であった旧暦をいまの太陽暦の新暦に改暦するという布告が出されたのは明治5年の暮れも押し迫った11月9日のことであった。布告は誠に性急なもので、翌12月2日をもって旧暦を廃し、旧暦12月3日を新暦明治6年1月1日とするというものだった。  すでに翌年のカレンダーが世間に出回っており、大きな混乱が生じたという。社会的混乱や反対意見を押し切ってまで政府が性急に事を進めた背景のひとつには財政難があった。布告が出された翌年の明治6年は旧暦だと閏年に当たっていて13か月ある予定だった。新暦に改暦すれば12か月となり、官吏の月給を1か月分払わなくて済む。また、いまいったように明治5年の12月はたった2日しかないので、この月も払わないで済ます。さらには、新暦導入と同時に週休制を導入することで年間の休業日を約50日間減らすことができたのである。旧暦当時は大体3日働くと2日休みで年間の約4割が休業日だったというから、なんともうらやましい良き時代であった。
 労働時間の延長と給与削減という一挙両得の新暦を導入した明治の偉人たちはなるほど頭がいい。ひるがえって考えるに、いま我が国の競争力回復のために残業代をゼロにしようという提案がなされているが、国会では内閣官房が「公務員は対象ではない」と発言している。年収1千万円以上の民間労働者の残業代を削って、果たしてどれだけ競争力が回復するのか。