コラム

2015年9月10日号

 潮が引くように、とはこのことか。東京五輪エンブレムの看板やポスターが、都内の街角や公共施設から静かに消えている。ポスターを剥がした後が薄暗い洞(うろ)のように淋しげだ▼類似・盗作をめぐって一転、二転。結局は白紙撤回に追いやられた東京五輪エンブレム問題だが、顛末を振り返ると、情報社会の特性が濃く出たことも副次的に見逃せない▼五輪エンブレムの原案デザイン、使用例について、類似と流用をいち早く指摘し伝えた(拡散させた)のはネットユーザーだった。公募方法や選考過程に疑義を呈したのも最初はネットの世界だった。新聞やテレビは当初、そこまで踏み込んで伝えなかった▼それが証拠に、大手マスコミ自ら「ネット発の追及」などと記す。何千、何万人が検索して情報を猛スピードで追い、問題点を拾い上げ、仮想世界から一気に現実の闇を暴くという凄まじいものだ▼けれど、ここぞとばかり嵩にかかって攻め立てる様子は下品でもある。容赦なく個人のベールを剥がし、家族の情報まで平気で剥き出しにする▼お叱りを受けるかもしれないが、東京五輪の「T」をベースにしたデザインなど、いくら斬新にしようにも限界、既に世界の誰かが似た発案をしていると思う。「あらゆる物語は、人の歴史において既に考えられたものに過ぎない」と言った作家もいた▼決して今回の件を擁護しない。だが仮に個人の自由な発想に対しても、ビッグデータに照らし剽窃だ何だと言い寄ってくる世界になれば、生きづらいし御免だ。これじゃあ想像力も衰退しよう。