オヤジの喜怒哀愁

2016年1月25日号

パズルと積み木

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 大学や高校の入試シーズンを迎えている。
 試験というと、とにかく暗記である。近年は小論文形式が増えているとはいえ、それは一部の話で、覚えること、記憶すること即ち勉強と言っても言い過ぎではないだろう。受験生たちは直前の追い込みであれ、一夜漬けであれ、できるだけ多くのことを頭に叩き込んで試験に臨んでいることだろう。
 歴史などはその最たるもので年代、人名、出来事を丸暗記していなければ問題に答えることができない。英語だって単語や熟語を暗記していなければ読めないし、比較的応用力が問われるように思う理数系にしても公式や定理を暗記していなければ問題を解くことはできない。
 詰め込み式学習の弊害が言われて久しいけれど、勉強というものは今も昔もあまり代わり映えしないように思う。頭の中にどれだけのことを覚えているのか。試験とはその頭の中の在庫チェックで、一番問われているのは暗記力、記憶力なのである。
 しかし一方で、学校に通ったことのある人なら誰しもよくご存知のことであるが、勉強したことの多くは忘却の彼方へと失われてしまう。記憶に残るものは自分が興味をもったことやおもしろいと思ったことなどごく一部のことに限られている。ならば、一時的に倉庫いっぱいに詰め込んだ品々の在庫チェックをするような学校の試験には一体どれだけの意味があるのだろう。
 東大卒、リクルート勤務の後、民間人として公立中学校の校長を務めた藤原和博氏は人間の学力を「ジグソーパズル型」と「レゴ型」とに分けている。ジグソーパズル型は、あらかじめ用意された正解に早く到達する能力、レゴ型は用意された正解のないところで物事を積み上げていく能力だとする。前者を情報処理能力、後者を情報編集能力とも言っている。レゴというのは昔からあるプラスチック製の積み木のような玩具である。
 無論、試験で問われているのは穴埋め的ジグソーパズル型の能力である。では、レゴ型の能力をどうすればチェックできるのかというのはなかなか難しい問題ではある。試験というものはできるだけ公平でなければならない。◯か×かというのはわかりやすい。
 肝腎なことは、試験は記憶力や情報処理能力を問うものではあっても、人間が生きていく上でそれにも増して重要な判断力や創造力はそうした試験では計り知れない、ということを本人や親や社会が決して忘れないことであろう。