オヤジの喜怒哀愁

2016年4月10日号

頭の中の図

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 妻は方向オンチだ。街中のレストランで食事をして店を出て、さっき来たときに自分がどっちの方向から歩いてきたのかわからなくなることはしょっちゅうある。スーパーの大きな駐車場で自分でとめた車を見失うこともしばしばだ。
 社会学的に見ると男は家の外に出て荒野から食糧を調達するために方向感覚が磨かれ、女は家を守ったからそれほどでもなかったと言われることがある。けれど、小生の母は若い頃から自動車を運転し現在も現役ドライバーで、一般道はもちろんのこと混雑時の裏道、抜け道などいまだに小生より詳しい。なので、女性方向オンチ説はどうも怪しいと思っている。
 妻は道案内や場所の説明をされるとき「駅のほうから向かってタバコ屋さんの角を右に曲がって2本目を左に曲がった突き当たりの赤い屋根の家」というような順を追った具体的な説明ならわかるらしい。「スーパーと公園の間あたりに住んでいます」などと言われると一体どのあたりのことなのか皆目見当がつかないと言う。したがって、いま走っている道が混んでいるからといって知らない道に分け入り裏道、抜け道を開拓するなど彼女にとってはあり得ない話なのだろう。
 考えるに、これは頭の中に地図を描けるか描けないかの違いなのではなかろうか。地図というほどの代物でなくとも与えられた情報を頭の中で簡単に整理するためのイメージ図を描けるか描けないかの違いではなかろうか。情報を抽象化してイメージする能力と言い換えることもできよう。
 こうしたイメージ図を頭の中に描ける人は「タバコ屋の角を右」方式はかえって冗長で面倒で「スーパーと公園の間」方式のように視覚的な俯瞰図で言ってもらったほうがパッとわかるケースも多いだろう。
 人の能力というものは見た目ではなかなかわからないものだ。方向感覚もそんな人間の能力のひとつである。そして、もちろん生育環境で育まれ、訓練によって向上させることのできるものであるが、生まれながらに鋭い人と鈍い人とがいるのもまた事実である。 とはいえ、これは結局のところ程度問題であって、駒を動かさずに何百通りも先の手を読んだり、駒と盤を使うことすらせず頭の中だけで相手と自分の駒を動かして一局を差し切ってしまったりするプロ棋士たちが頭の中に図を描く力に比べれば、母と妻の能力の違いなど無きに等しいことなのかも知れない、とも思うのである。