コラム

2016年5月25日号

 幼少の頃から「陰日向(かげひなた)」の無い人間になれ、「裏表」があってはならん、などと教育されてきた。が、青年期になって少し小生意気な知恵がついた頃から、陰日向と裏表はまったく違うじゃないかと、勝手に理屈づけるようになった▼言葉遊びの類かもしれないが、光の差すところ必ず影ができる。胸に手をあてるまでもなく、多くの人が自分の中の影(陰)を意識し、何らかの影を抱えながら暮らしているはずだ。陰日向を無くしてしまうのは容易でなく、自分なりに折り合いをつけて生きるのは許されることと思う▼対して「裏表」には何らかの企図、もっといえば悪意が隠されていそうだ。むかし観た映画で、憎めないワルが「オレは嘘はつくが、人をたぶらかしはしない」とこぼすシーンがあり不思議と共感を誘ったが、裏表のある人間に対して人は、およそ寛容になれるほど甘くはない▼そんなことを考えながら、世間を騒がす舛添都知事の政治資金私的流用問題を振り返ると、影の部分が裏側に流れて増大し、とめどもなくなった経緯がニュースから伝わる▼法的にどうのこうのは差し置いて、さもしい悪意が裏側で大手を振ってしまった事実、これが都民・国民の嫌悪を招いている。知事の言う第3者がどんな調査をし、判断を下すかが目先の関心事ではあるが、万一甘い決着がつくようでは、我が国の品性まで問われるだろう▼燃費偽装やタックスヘイブンを利用した税逃れなど、社会的に尊敬されてしかるべき人、組織の問題が続く。取り戻すべきことが増えている。