コラム

2016年7月10日号

 50歳を少し越えたA氏は、大柄で固太りしており、ルックスは元柔道かラグビー選手かといったふう。いつもニコニコと温和で人当たりがよく、筆者行きつけの飲み屋の客の一人として常連から好かれている▼浄土真宗の住職さんだ。奥さんの実家がお寺で、当人、大手証券会社に長く務めたが、中間管理職から一転、得度を受けて修行し、寺を引き継ぐことになった▼その経緯と人柄から、酔客から軽くいじられることも多い。もうすぐお盆、書き入れ時だねェ―ちょっと失礼な感じがあっても、当人はサバサバと受け応え、笑みを絶やさない▼このご時勢、彼はパソコンを使って仕事しているという。例えばエクセルのタテの列に門徒の名前、ヨコ列に講話の内容を記号で記し、法事の際の話の重複を避ける。前回はこうこうこういう講話をしたが今回は、などと切り出すこともできる。「顧客管理は実業でしっかり学びましたから」。そう軽く落として周囲の客を笑わせる▼ところがその後の話が気になった。人間関係づくりが苦手な若い僧侶が多く、講話なんてしたくない、無意味だという声さえ最近は増えているという。他者と係わることを避けるような傾向が、僧侶の世界にもあるというのだ▼もうロボットにお経を読ませていればいい、そう思うこともありますよ。この世界に入って、人の心がどんどん壊れているのを実感します。先祖に感謝する心も、供養の心も。彼は真顔でそう言った▼何かが失われていく「時代感」といったものが、じわじわ広がっている気がしてならない。