オヤジの喜怒哀愁

2016年7月25日号

不思議な時間

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 蜩(ヒグラシ)というと秋の季語になっていて、その名から夕暮れどきのイメージがある。英名の「イブニング・シケイダ」は「夕暮れどきの蝉」で和名と一致する。
 だが、我が家の周りでは梅雨明けとともに鳴き始め、盛夏ともなると朝の大合唱もピークを迎えるのである。「日暮らし」ではなく「夜明かし」という名でもよかったのではないかと思われるくらいなのである。
 日の出時刻は夏至の十日ほど前に4時20分少し過ぎと一番早くなる。それが、だんだん遅くなってきて、いまはだいたい4時40 分ごろに日が昇る。その30分ほど前、4時10分くらいになると蜩が声を上げる。1匹鳴き始めるとすぐにそれに呼応して大合唱が始まる。
 どうして朝が来るのがわかるのか、不思議にも思うけれど、そんな時間に目覚まし時計が鳴ったわけでもないのにひとり目を覚ましている自分のことを思えば、それほど不思議なことではないのかも知れない。
 聞き做(な)しでは「カナカナ」とされ、蜩はカナカナとかカナカナ蝉と呼ばれることもある。朝、静寂を破って泣き始めた蜩の声を聞いているとたしかにカナカナと鳴いているようにも聞こえるのだが、どちらかというとまだ暗い山の木々の中で無数の鈴が振り鳴らされているような、そんな幻想的、幻視的な音に聞こえる。
 その無数の 鈴の音は涼しさとともに聞く者に癒しをもたらす。演奏時間は結構長く、日が昇るまでの約30分も続くだろうか。しばらく聞いていると涼しさと癒しは陶酔感、恍惚感へと変わっていく。
 虫の嫌いな人はノイローゼになるのではあるまいかと思われるくらい辺り一面蜩の声に包まれる。どんな音楽よりも素晴らしいと思う。あえて言うならインドネシアの民族音楽「ガムラン」の鈴や鐘の音を聞いている時に感じる陶酔感とよく似ている。
 日が昇り、辺りが明るくなってくると次第に蜩はピークアウトして、ミンミン蝉やらニイニイ蝉やらカラスやらウグイスやらいろんなものが起きてくる。家の人間もひとり、ふたりと起き出してきて騒がしくなってくる。気温もグングンと上がって汗ばんでくる。

 ついさっきまでの静けさと涼しさ、ヒーリング、陶酔感は幻のように消え去って、もううまく思い出すことができない。朝の蜩の時間は不思議な時間である。