オヤジの喜怒哀愁

2016年8月10日号

喪失の時代

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 著名人の訃報が身にしみる。改めてそれだけ自分が齢を重ねたのだと実感する。自分はまだ50代の半ばなので、平均寿命が男女とも80歳を超えた長寿大国においては亡くなる方は自分より年上の人が多い。だが、その人が大活躍した時代を知っている。年上ではあるけれど、同じ時代を生きてきた思い出がある。そんな人の訃報に接すると、身を削られるような思いと言えば言い少し過ぎかもしれないが、大きな木が枯れてしまったようなさみしさを感じる。これからはもっとこんなことが増えるのだろう。作家の椎名誠さんが、たしか今の筆者よりも少し若い50歳前後のころに「これからは捨てる人生だなと思う」と書いていたのを覚えている。
 そのころの椎名さんと言えばまさにマスコミの寵児で、小説は出すし各誌に多くのコラムを抱え、テレビでは地球の奥深くにまで入り込んだ探検番組が放送されるといった大車輪の活躍をしていた。
 そんな明るく元気なイメージの椎名さんにしてはどうも不釣り合いなセリフだったので「これからは捨てる人生だ」をよく覚えているのだ。もちろん椎名さんは現在も執筆活動に、テレビ出演に、講演会にと幅広く活躍を続けているが、そのころを境に第一線からは自ら身を遠ざけたような印象を持っている。
 どんな心境の変化があったのか知る由もないことだが、男50歳は働き盛りのようでいて気力、体力、知力の衰えを自覚し始める時期である。男の更年期障害も言われる齢である。経済的なことはともかくとしてもこれまで得てきたものが次第に失われていく時代に差し掛かる。同時代人の訃報に接する機会が増えるのもそうした喪失の時代の始まりの一例である。
 黙っていてもいろいろなものが失われていくのだから、なんとか現状維持したい、今持っているものはなるべく手放さないようにしたいと考えるのがふつうだろうが、そこは椎名さんのこと。どのみち失われていくものなら敢えてこちらから捨てていこうではないかと言うのである。

 齢を重ね喪失の時代に入っても受け身になるばかりではなくて、人生に対していつもこちらから関わろうとする椎名さんらしい強い意思とさっぱりとした決断をこの言葉から感じることができる。自分は椎名さんほど多くを手にしてきたわけではないものの、これからの人生を歩んでいく上でひとつのヒントになる言葉だと思うのである。