コラム

2016年8月25日号

 ケアレスや意味の取り違え。新聞制作の現場では正直、ミスがたびたび起きる。校正で直すが、記事にする固有名詞やエピソードの類は、取材者当人を除き周囲に不明であることが多く、正すのは難しい。かくて発行後にミスが明るみになり、頭を抱えてしまうことがある▼当然のように、責任は書いた記者個人に向けられがち。ところが最近、あるビジネス専門誌に「ヒューマンエラーの原因究明はしないほうがいい」と衝撃的に書いてあるのをみつけ、自社のことと関連づけて考え直すはめになった▼最近の安全工学のトレンドとして、学者らは「個々のミスの原因を追わず、ミスを防ぐ活動の可能性を、視野を広げて考えていくことが重要」と捉えるらしい。なるほど合理性と一定の説得力がある▼原因究明を経て「○○が悪い」と導くだけでは近視眼的で次につながらないというわけか。学者らはまた、ミスを叱ることとミス率を減らすことは余り関係がないといい、むしろ叱りが原因でミスを隠蔽してしまう弊害の出る恐れもあると指摘する▼要は、ヒューマンエラーを招いた要因を探し出し、組織として改善すべきというのだ。焦点を当てるべきはミスの「原因」ではなく「要因」だと▼そうかそうか。けれど頭を縦に振ってはみたが、自社の課題にあった具体的で妥当な善後策はなかなか見つけづらい。頭の隅からは「ミスは単純にタルんでるからだよ」と、シンプルで明瞭な声が漏れ出る▼A君ちょっと、お前なんでまたこんなミスをしでかした、説明しろ。―程なく雷を落として問い詰めたのは人の本性か。