コラム

2017年1月25日号

 産業界の新年会を、ならすと2日に一度程のペースで回った。代表者らの挨拶でほぼ必ず出た言葉は予想通りと言うか、IoTとトランプ氏▼もっとも、後者は何をどう考えているかいまだ不可解なため、コメントは少なかったが、IoTへの対応は業種を問わず、課題でありビジネス機会だと一様に重く捉えられていた▼筆者は正直、IoTなる言葉はやがて消えると思っていた。弊紙でもIoTを冠にした連載を2年前5月から1面で続けているが、タイトルには反対した覚えがある▼IoT=モノのインターネットを超える概念としてIoM(人)、IoE(すべて)をはじめ、違った切り口の表現が当初から提唱されており、IoTで落ち着いてしまうはずはないと踏んでいた▼けれど実際は、他の概念が提示されても、居心地のいい故郷に帰るように、IoTなる言葉に戻る。IoTという、分かるようで捉えにくい言葉は、まだ見ぬ将来を創り上げていく行為と馴染むのかもしれない▼けれどIoTを追うだけでなく、IoTで括られる世界と人との関係を、より熟慮すべき時に入ったことは確かだろう▼過去から情報化社会の弊害はいろいろ指摘されてきたが、その究極版を前に、人が、IoTが表現する世界とどう向き合うか。これこそ今後永遠と続く課題になる。経済面だけでなく生き方の問題としても▼人の機微が分かる、地道に人間関係を築ける、あるいはドンくさくとも正直で信頼が置ける▼そうした人の評価を、IoT以前を知る大人たちが大事にしていくことも重要だろう、などと思う。