オヤジの喜怒哀愁

2017年2月25日号

カタカナは許してくれる

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 少し前の話になるけれど、とある人が放送番組のアナウンサーがわかりにくい外来語を乱発して話すので精神的苦痛を受けたとして放送局を相手に慰謝料を請求する訴訟を起こしたことがあった。本気でお金を要求しているわけではなかったと記憶しているが、日本語防衛のために一石を投じたということだった。外来語の乱用は放送局ばかりでなくほかのメディアにしても同様だし、役所とくに中央省庁の出す文書にもよく見られ、以前から時に不評を買っている。かくいう私も、あなたの文章はカタカナが多いですね、と読者にいわれたことがある。新しく入ってきた外来語が世間一般に認知されるまで、丁寧に日本語に置き換える作業が必要になることはいうまでもない。
 だがその一方で、外来語が便利であることは否定できない。外来語は言葉の響きが洗練されているし、日本語にピタリと当てはまる概念がない場合も多い。たとえば、コストパフォーマンスといえばその製品の値段と性能の対比を表す。コスパがいいといえば、値段の割に性能がいいという意味になる。コストパフォーマンスは実は和製英語らしいが、日本語に置き換える場合は費用対効果、対費用効果と訳されるのがふつうだ。しかし、「このクルマはコスパがいいね」というのと「このクルマは費用対効果がいいね」というのとでは、やはりかなり違 う。
 もちろん便利だからこそ何となくわかったような気になってつい使ってしまうのが外来語なのである。
 「シミュレーション技術に基づくバーチャルリアリティーのポテンシャル」を日本語で表そうとすれば「模擬実験技術に基づく仮想現実の潜在能力」とでもなるのだろう。どちらがわかりやすいだろうかと考えてしまう。というか、どちらも何をいっているのかわからない。「模擬実験のためにつくられる仮想現実が持つ可能性」ぐらいに意訳しておいた方がいくらかわかりやすいだろうか。
 いずれにせよ、外来語の乱用は、ひとつの言葉の概念を書き手も読み手も十分咀嚼し、意味を共有できないうちに次から次へと新しい概念が生まれ、新たな言葉が登場してくることに由来していると思うのだ。そのおろかな現実に対してカタカナ表記は寛容なので、ついつい使ってしまうのである。