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Opinion

法政大学デザイン工学部 情報マネジメントデザイン研究室 教授 西岡 靖之 氏

生成AIによる製造現場の新たな展開

ゼレンスキー大統領がG7出席のために来日し、西側諸国のみならずグローバルサウスも含めた世界へ向けて結束を呼び掛けた。ロシアのウクライナ侵攻がはじまった2022年2月、なぜ良識のある大国の指導者であるはずの人間が、このような意思決定を行うのか理解できなかった。これは、大規模言語モデル上でファインチューニングされたAIの暴走だろう。

プロフィール
1985年早稲田大学卒業。国内のソフトウェアベンチャー企業でSEを経験し、96年に東京大学大学院・博士課程修了、博士(工学)。同年東京理科大学助手。99年法政大学専任講師。2003年から教授。2007年からデザイン工学部教授。知識工学、経営工学、生産工学に興味を持つ。日本機械学会フェロー、一般社団法人インダストリアル・バリューチェーン・イニシアティブ理事長。著書として、「スマートシンキングで進める工場変革-つながる製造業の現場改善とITカイゼン(日刊工業新聞社)」など。

すでに当人は亡き人で、テレビ映像は精巧に作られたアバターかもしれない。そんなSF的ストーリーが真実味をもって脳裏をよぎる。

2023年に入ってから、生成AIが、ものすごい勢いで社会に浸透しつつある。一方で、特に欧州議会では、AI規制法案がすでに採択された。AIは人類の敵なのか、味方なのか。開発者当人が、これは規制しなければ危険であると米上院の小委員会で訴えたこの技術は、パンデミックとは違う意味で、人類の生存やあるべき姿にまで立ち入ろうとしている。

人間は結果として得られた情報の中でしか判断ができない。インターネットの普及により、情報量が簡単に得られるようになったが、一方で、その情報が正しい情報なのかを確認する術をもたない場合が多い。巨大な生成AIによりその傾向が加速し、知らないうちに、個人の自由が実質的に失われていく。著作権の問題のみならず、こうした主体性の崩壊が、いま人類が直面している新たな危機なのだ。AIが悪いのではなく。AIに過度に依存してしまう人間の側に問題の根っこがある。

生成AIと製造現場.jpg

■ものづくり現場の「暗黙知」

経営学の世界で、暗黙知ということばがある。ことばや図表などを使って形式的に表現できない経験や知識をいう。「行間を読む」とか、「背中で示す」といった世界にあてはまる。個人というより組織や特定のグループなど複数の主体の関係性の中で育まれる場合が多く、その場と状況から切り離して伝えることが難しい。

ものづくりの現場には、こうした暗黙知がいたるところに存在する。「あうん」の呼吸が通じる日本の現場は、こうした暗黙知に寛容であり、その伝承が比較的容易だ。ボトムアップなカイゼン活動や組織の自律的な変革は、暗黙知が介在して進められる場合が多く、これが日本のものづくりの強さにつながっている。

生成AIに限らず、昨今のディープラーニングと呼ばれるAIは、こうした論理的に記述できない知の世界を対象としている。膨大な資金と計算資源を投入すれば、形式的な記述なしに、人間と同等なアウトプットを産出できることが示された。繰り返し学習させることで、現場の暗黙知は数万から数億個のパラメータがもつ無機質な数値に置き換わる。結果がどうやって得られたのか説明ができなくても、満足できる内容であればそれでよいのだ。

さて、ものづくりの現場は、デジタル世界の暗黙知ともいえる生成AIを受け入れるだろうか。生成AIの技術がさらに進化することで、工場は無機質なパラメータに置き換わり、自動化、無人化が進むだろうか。おそらく技術的には可能であるが、コストセンターである工場は、経済的に見合う範囲でしか自動化、無人化は行わないだろう。品質保証の問題もある。

すなわち、幸か不幸か、未来の工場では相変わらず人が働き、そこで新たなノウハウが生まれ、人が介在した暗黙知が育つ。生成AIも活用するが、人間がその行為や言動を監視し統括しているに違いない。

■現場のディープデータ活用がカギ

ビックデータで先行した北米のメガプラットフォーマー各社は、この生成AIの流れに乗ってさらにその勢力を拡大しようとしている。強いものづくり現場をもつ日本の製造業は、提供されたプラットフォーム上でしか戦えない体制になってしまうのか。この戦況を打開するキーワードは、「ディープデータ」である。ディープデータは、それぞれの現場の固有な状況に特化した専門性の高いデータを指す。秘匿性が高いためインターネット上で流通しない。

再びSF的な言い方をすれば、未来の社会は、ビックデータを知識源とした巨大な生成AIが支配する世界と、それぞれの現場のディープデータで学習した生成AIを携えた多様でインクルーシブな組織からなるサイバー・フィジカルな世界とが対峙する。これらは競合するのではなく、ゆるやかな標準や共通ルールを柔軟に運用することで協調し、バランスのよい社会が形成されることを願いたい。

ディープデータを積極的に活用した未来社会へ向けて、この種のデータを扱うための従来とは異なるデータ流通のためのフレームワークが必要となる。工場から得られるデータは、活用のしかた次第では大きな価値を生み出す反面、外部に流出した場合のリスクは計り知れない。経営者のマインドもあるが、こうしたデータ流通に対する法的な枠組みも急いで整備する必要がある。

現在、筆者が委員を務めるフィジカルインターネット実現会議では、2040年の物流のあるべき姿へ向けてのロードマップを作成した。工場の生産計画や出荷計画が物流のネットワークと相互に連携することで、物流コストが大幅に削減でき、働き方改革にもつながることは明らかだ。ガバナンスの肝となる公正なデータ取引を担保するしくみは、AIに任せるとよい。社会とAIとがほどよい距離感をもって共生する新たなモデルとなるだろう。

(2023年6月25日号掲載)